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KBCアナウンサーブログ富田 薫

こんな“熱い生き方”ができた時代もあった…。 映画『三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実』

2020年03月19日

富田 薫

©SHINCHOSHA

 「三島由紀夫は怖い!」という自分の印象は、一瞬にして覆された。

 彼が、自衛隊市ヶ谷駐屯地(現在の防衛省本省)のバルコニーで決起を促す演説を行い、割腹自殺を遂げたのは1970年だった。当時、自分は東京に住んでいたが、毎年11月25日の「憂国忌」が近づくと都心にあの「独特の軍服をまとった勇姿」のポスターが出現し、あたかも三島に睨まれているかのような錯覚に陥った。

 同時に、メディアに登場するポートレイト写真は「モノクロなのに血走った目」だとわかるほどの威圧感がある。しかし、それらは一種の「情報操作」であり、賛否はあるにせよ、彼の本質は「クレバーな思想家」であることがわかった。そう気付くまでに50年もかかってしまったが…。

三島の立ち居振る舞いは、明らかに“知の巨人”のそれだった。

 本作は、1969(昭和44)年5月13日に行われた三島由紀夫と東大全共闘の学生との討論会を扱ったドキュメンタリー映画だ。映像を所有していたのは東京放送(TBS)一社だけというアドバンテージはあるものの、昭和史に残る「三島事件」の再考察を実現させた熱意に敬意を表したい。

 その是非をめぐって、まさに日本が二つに分断されていた「70年安保」前夜のこと。東大駒場キャンパス900番教室に集まった千人の東大全共闘の学生たちは「三島を論破して立ち往生させ、壇上で切腹させる」と物騒な盛り上がりを見せていた。

 単身乗り込む側の三島もいざという時のために短刀を懐に忍ばせ、万が一の場合に備えて「楯の会」メンバーが会場に身を潜める緊迫感に包まれて討論会の幕があがる。

東大全共闘との“対決”は思いのほか和気あいあいで…。

 「自分の思い込み」に反して、三島は学生達を説得しようと紳士的に振る舞う。途中で紫煙をくゆらせながらの討論は、時として「和気あいあい」。

 自ら「ここでの“言の葉”は放たれるとともに消えていくが、その“言霊”は永遠に残る」という決意とも取れる発言が印象的だった。

 一方の学生たちは「血気盛ん」ではあるものの、彼に対する「追及」にはもどかしさを感じた。

 やはり存在感は三島の方が一枚も二枚も上で「自分は暴力を否定しない。ただ、法治国家の日本でそれを実行すれば犯罪であるから、腹を切って責任を取る」と「しらっと」言い切るところに並々ならぬものを感じるのだった。

ノーベル賞候補の呼び声も高かったが、この討論会の1年半後に昭和史に残る「三島事件」が起きるとは…。

 16ミリ・フィルムで撮影された当時の映像に関係者の直近のインタビューが挿入されていく演出。実際に会場にいた平凡パンチの編集者(椎根和)、新潮社カメラマン(清水寛)、TBS記者(小川邦雄)らによる回想や、今では「体制側」に身を置く東大全共闘、彼らと対峙していた「楯の会」の元メンバーが、白髪交じりの風貌で語る実体験は興味深かった。

 作家の瀬戸内寂聴氏も登場し、三島のクレバーぶりに言及するが、さらにその理由など深い話も聞いてみたかった。

 自分と同じ世代の多くが映画館に足を運ぶと思うが、三島由紀夫の名前は知っていても作品は読んだことがない方にもお勧めしたい。なぜなら、三島が言う「憂国」と全共闘の「体制批判」は、実は通底していて、そのいずれもが「国を憂うがあまりに高ぶる情熱」をもって生きていた時代を感じ取れるからだ。

 ※3月20日(金・祝)からKBCシネマ、中洲大洋他で全国ロードショー
 ※この映画のさらに詳しい情報はこちらまで→https://gaga.ne.jp/mishimatodai/

1969(昭和44)年5月13日「東大駒場キャンパス900番教室」にて。 ©2020 映画「三島由紀夫vs東大全共闘 50年目の真実」製作委員会