時代を先取りした!?『令和』由来の梅花の歌
2019年06月22日
[福岡県]
梅花の宴(4)
「令和」の由来となった万葉集の中の「梅花の歌」序文は、約1300年前に大宰府政庁の長官(大宰帥)だった大伴旅人が記したとされています。
歌が詠まれた「梅花の宴」は、その名の通り、“梅”が題材でした。
しかし実は梅の木は当時の日本にはほとんどなく、旅人たちが眺めていたのは、中国から伝わってきたものだったといわれています。
梅は当時、高貴で珍しい花。更に中国では「好文木(こうぶんぼく)」と呼ばれ、学問や文化が栄える国には梅の花が咲き誇る、という故事もあったそうです。
満開に咲き誇る梅の下で、旅人が「梅花の宴」を催したのは、現代の暦で2月頃のことでした。
酒を飲み、梅を愛でながら、歌を詠み交わす――。
時代の先端を行く、華やかな歌会だったといわれています。
宴が開かれたとされる旅人の邸宅は、現在の坂本八幡宮の場所にあったそうです。
ゆかりの地として連日賑わうこの場所で、旅人はどんな想いを綴ったのでしょうか。