愛する郷土のために
2019年12月14日
[福岡県]
石橋正二郎(2)
「故郷、久留米の役に立ちたい」。
それは正二郎が17歳で家業を継いで以来、抱いていた思いでした。昭和3年、久留米で医学専門学校の建設誘致の話が持ち上がった際、土地と校舎を寄付。この医学専門学校こそ現在の久留米大学です。
また昭和31年、芸術に情熱を持っていた正二郎は「石橋美術館」を設立。これは学生時代の恩師・坂本繁二郎から「久留米出身の天才画家・青木繁の作品を後世に残すための美術館を!」という思いに賛同したからでした。
さらに翌年には、久留米市内の21の小・中学校へプールを寄贈。幼少時代に病弱だった正二郎が、郷土の未来を担う子供たちに身体をしっかり鍛えて欲しいと強く願っていたのです。
また水泳指導者の育成を目的に久留米工場にブリヂストン水泳部を創部。昭和39年の東京オリンピックでは、男子800メートルリレーで銅メダルを受賞したメンバーの一人が水泳部の選手だったのです。
久留米の地で、その礎を築いたとも言える石橋正二郎。次回は、彼が未来へ遺したメッセージに迫ります。