“恩送り”の精神
2022年06月25日
[長崎県]
ちゃんぽん誕生秘話(4)
2011年、東日本大震災が起きた際、四海樓をはじめ新地中華街の人たち14人は、長崎からおよそ27時間かけて被災地である宮城県気仙沼市に向かい、避難所でおよそ800食の「ちゃんぽん」を振る舞いました。
この時、四海樓創業者・陳平順の曾孫にあたる優継さんは、長崎ちゃんぽんを考案した曾祖父の想いを図らずも再確認したそうです。
「ちゃんぽん」には、自分が受けた恩を別の人に送る「恩送り」の精神が込められていると。
創業者・陳平順は、「ちゃんぽん」が大ヒットした際、周囲から商標登録を進められますが、こう言って聞き流したそうです。
「留学生や長崎人にかかわらず、大勢の人に食べてもらえたら満足だ」。
明治時代、中国福建省から長崎へ渡り、様々な苦労を乗り越え成功した陳平順。
貧しい同胞の留学生のために考案した「長崎ちゃんぽん」は、彼自身が多くの人に支えられた経験から生まれたものでした。
ボリューム満点の愛情グルメには、苦しい人を助け、恩を人から人へと送り続ける「恩送り」の精神が、時代を経た今も生き続けているのです。