炭坑記録画の原点
2022年08月13日
[福岡県]
山本作兵衛(2)
山本作兵衛は今から130年前の明治25年(1892)、現在の福岡県飯塚市に生まれました。
父・福太郎は石炭を運ぶ川船の船頭でしたが、作兵衛が生まれる前年、若松から直方までの鉄道開業をきっかけに炭坑労働者に転職しました。
作兵衛は、7歳の頃から炭坑の仕事を手伝いながら、尋常小学校に通います。
彼が絵画の魅力を初めて体験したのも小学生時代でした。
弟が初節句にもらった加藤清正公の人形を繰り返し写生したのがきっかけだったのです。
作兵衛は、日常の出来事を日記や手帳に92歳まで描き続けたそうです。
彼は自ら炭坑労働者として働きながら、およそ半世紀に及ぶ日常を淡々と記録し続けてきたのです。
本格的に絵画を描くようになったのは、田川市の炭坑事務所で宿直勤務を始めた66歳の時。
実は、作兵衛は太平洋戦争中に長男が戦死していました。
「夜警をしていると長男のことばかり思い出してしまう」。
悲しさを紛らわせるために彼は絵筆を手にして描き始めたのでした。