ピンチを救った恩人
2024年12月14日
[福岡県]
アインシュタインとの友情(2)
今から102年前、講演のため来日した天才物理学者・アインシュタイン。
彼は日本行きの船で、災難に見舞われたのです。
アルベルト・アインシュタインは、日本へ向かうため、大正11年(1922)11月、「北野丸」に乗船しました。そこで彼は、突然体調を崩してしまったのです。
便に血が混じっていたため彼は、「直腸ガンかもしれない」と悲観してしまいます。
そこに偶然、この船に一人の日本人医師が―。
九州帝国大学外科教授の三宅速でした。
三宅は、日本初の脳腫瘍摘出手術に成功した内臓外科医で、世界最古の外科国際学会「万国外科学会」で役員を務めるなど世界的にも認められた名医。
アインシュタインと出会う直前、三宅はこの学会で「ある行動」を起こしていました。
九州大学医学部同窓会 佐藤裕 常任理事
「万国外科学会は、戦争を理由にドイツ、オーストリアの外科医を除名しました。
ところが三宅教授は、国籍を理由に除籍するのはおかしいと反対の署名運動に奔走しました。」
三宅が多くの署名を集めたことで学会を動かし、ドイツ・オーストリアの復帰が叶ったのです 。このように三宅は医学に真摯に向き合う人でした。
そんな彼の診療によって、直腸がんかもしれないというアインシュタインの一抹の不安はあっさりと払拭されることに。真相は「痔の類」だったといわれています。
元気を取り戻したアインシュタインは、三宅に感謝を伝えるため、予定外の福岡へ行くことを強く希望したのです・・・。