放送内容

被災者の声を聴く~八女市星野村 後藤富美子さんの思い その2

2020年01月08日

[番組で紹介した情報]

いのちを守る防災ラジオ、KBC防災解説委員の太田祐輔です。
山田優子です。
毎週この時間は、あなたの命を守る防災について考えていきます。
今日のテーマは「被災者の声を聴く~八女市星野村 後藤富美子さんの思い その2」です。

先週から4週にわたって、八女市星野村で民宿ととっても美味しい食事を出すお店、「ふみちゃんのみそ汁屋さん」を営む後藤富美子さんの声をお届けしています。
2012年の九州北部豪雨で、星野村では甚大な被害が発生しました。

朝起きたら、家のすぐ近くまで水が迫っていた。その状況で後藤さんは近くの小学校に避難しました。


(太田)後藤さんは近くの小学校に逃げて、そこから避難生活が始まったわけですけど、どんな様子でしたか?

(後藤)この地区の人たちがほとんど集まって、体育館にみなさん入っていました。でも「体育館もちょっと低いところにあるから、怖いよね」ということになり、校舎の2階に避難することになりました。

(太田)このあたりの地域のみなさんはほとんどが集まったのですね。体育館では一人当たりどれくらいのスペースがあったのですか?

(後藤)畳一畳ぐらいですかね。それぐらいのところで、寄り添いながらすごしました。

(太田)すごく狭いところに身を寄せ合っていたわけですね。
教室に移ってからは、ある程度スペースがあったのですか?(停電で)電気がないので、暗くて見えなかったし、よく覚えていません。ただ真っ暗闇の中でみんな身を寄せ合いながらいました。

(太田)真っ暗闇の状況はどれぐらい続いたのですか?

(後藤)避難したその日については、電気は全然通じませんでした。

(太田)小学校に後藤さんはどれぐらいいたのですか?

(後藤)小学校には一晩です。そのあとは自宅に戻りました。自衛隊の方が、ヘリコプターで物資を運んでくれたからですね。でも物資といっても乾パンの缶が1軒に1個ぐらいでした。それにペットボトル1本ぐらいですね。それをいただいてすぐに(赤ちゃん連れの)娘に食べさせて、飲ませました。だって母乳が出なくなったら大変ですからね。また興奮するとお乳が出なくなったりするじゃないですか。それが心配でした。

(太田)足りなかった物資が足りるようになったのは、どれぐらいたってからですか?

(後藤)実は私たちは自宅で避難していたので、お弁当はいただいていません。公民館で炊き出しなどが行われていたので、行けばいただけたとは思うのですけどね。車にガソリンが入っていないし、道路は通れないでしょ。だから家にあるものを食べていました。あるものといっても、何食べたかな。あまりよく思い出せません。
公民館に近いところに住んでいる人はお弁当をいただいたりしていたようです。

(太田)発災後、後藤さんが一番つらかったことはどんなことですか?

(後藤)それを聞かれると、涙が出ますよね。みんな生活に不便になってしまって、食べるものもない、飲むものもない。すべてがなくなってしまって、「今後どうやって生きていけるのかな」ってそれを考えていました。

(山田)太田さんが「つらかったことは何ですか」って聞いたときに、「涙が出ますね」とおっしゃいましたね。その言葉に、いろんな思いがあったのだろうなと感じました。後藤さんが感じられた教訓などはまた来週以降聴けるのだと思いますが、発災してしまった時のために、しっかりとしたイメージトレーニングをしておかないといけないとも感じました。

●今日のポイント

今日のテーマは「被災者の声を聴く~八女市星野村 後藤富美子さんの思い その2」でした。
それでは、太田さん 今日のポイントをお願いします。

来週も後藤さんの声をお届けします。

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