放送内容

過去の災害に学び、どう備えるか その2

2024年07月24日

[番組で紹介した情報]

(太田)「KBCラジオ みんなで防災!」KBC解説委員の太田祐輔です。

(百市)百市なるみです。

(太田)毎週この時間は、あなたの命を守る防災について考えていきます。

(百市)今週は「過去の災害に学び、どう備えるか その2」をお送りします。

(太田)過去の災害の記録を掘り起こし、「まさか」ではなく「いつか」発生することを前提に防災に取り組むことを提唱している九州大学工学研究院 環境社会部門の西山 浩司助教のお話をお届けしています。

昨年7月、久留米市田主丸で大規模な土砂災害が発生しました。
今週は、この災害に関して、西山先生が過去の災害の記録を掘り起こしていく中で発見した過去からの教訓をご紹介します。
西山先生は「壊山物語」という、耳納連山沿いで享保年間に起きた災害を記録した文書を研究しました。

(西山)「壊山物語」には、300年前に筑後地方の耳納山山麓で、大規模な土石流災害が起きた時の記録が残されています。
この中にはですね、作者が村々をずっとめぐっていって、村ごとの被害状況をまとめているのですね。なので、耳納山で何が起きたかが明瞭にわかるのです。

(太田)それで見ると 享保5年の九州北部豪雨っていうのは、どれぐらいの規模の災害だったのですか?

(西山)去年の災害がありましたね。久留米市田主丸竹野であった災害よりもはるかに大きい。ということは、去年の災害は小規模だったとも言えるのです。

享保5年の九州北部豪雨っていっていますけど、それはやはり耳納山全部が崩れました。全域の谷が崩れているのです。去年の田主丸の災害は崩れたのはそこだけなのですね。
他のところはちょこちょこと崩れているのですけど、麓まで来たのは1箇所だけ。300年前はほぼほとんどの谷が崩れている。
また、麓にも大きな被害があった。ですから去年はまだまだあそこの1カ所だけで終わっているということが言えるのです。
私も去年、災害が発生したときに夜中ずっと気象データを見ていましたけどね。やっぱり 怖かったですね。これは「ちょっと危ない」「どっか崩れているのではないかな」と思って、久留米市側ではなくうきは市側ばっかり見ていたのです。うきはの方がちょっと危なかったのです。
そしたら、久留米市側の方がやられちゃったのですね。久留米も危なかったのですが、より危なかったのはうきは市側だったのですね。

(太田)その「壊山物語」という記録の中では、どういう風な表現で災害の様子が伝えられているのですか?

(西山)はい、基本的な土石流の特徴とかで、例えば岩が流れてきたとか、家が砂に埋もれたとかそういった描写があります。あと、田畑の被害状況もあります。

あとはですね、読んでいてすごく苦しいことがあるのですが、 人的な被害ですね。
何人なくなったという記録だけでないのです。どうやってなくなったって書かれているのですよ。
それが生々しいのですよ。例えば、首のない我が子を抱いて狂ったように介抱している母親の様子とか、あとはですね家族を土石流で失った男性が河原で泣き叫ぶ様子とかですね。
ほんとにもう涙涙(なみだなみだ)という状況です。

あとですね、いまのうきは市安富地区では30人の方が亡くなっています。その時の遺体について、誰が誰の遺体なのかわからないのです。どれだけやっぱり悲惨か、土石流災害というのはもうそれだけやっぱし遺体の形すらわからなくなるぐらいの悲惨さを持っているっていうことを示しているのですね。
そういったことがここに書かれているので、これはやっぱり教訓として当時の教訓を今に活かし、将来もまずこういうこと起こるのではないかということをしっかりここで学んでもらうっていうことが大事かなと思うのですよね。

(太田)過去の災害の記録ですよね。「壊山物語」というのは、壊れる山と書いて「壊山」なんですが、享保年間におきた災害について、こういう記録が地元には残っているということなのです。

(百市)聞いていられないほど生々しい記録なのですが、この記録を知ることで、よりリアルに、そして自分たちの知る場所で起こりうる災害なのだと、自分事に捉えられるような気がしました。

(百市)KBCラジオみんなで防災
今週は「過去の災害に学び、どう備えるか その2」をお送りしました。
太田さん、来週は?

(太田)我々は、過去の災害の記録である「壊山物語」から 何を学ばなくてはいけないのか考えます。

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