放送内容

福岡西方沖地震から20年地震にどうそなえるか~ その1

2025年03月05日

[番組で紹介した情報]

(太田)「KBCラジオ みんなで防災!」KBC解説委員の太田祐輔です。

(百市)百市なるみです。

(太田)毎週この時間は、あなたの命を守る防災について考えていきます。

(百市)今日のテーマは、 「福岡西方沖地震から20年地震にどうそなえるか~その1」です。

(太田)2005年3月20日福岡県北西沖の玄界灘でマグニチュード7.0最大震度6弱の地震が発生しました。
死者1人、負傷者およそ1200人を出した地震で、全壊した住宅はおよそ140軒に上ります。
ことしはこの福岡西方沖地震からちょうど20年の節目の年になります。
この3月の放送は地震にどう備えるかを考えていきたいと思います。

まずは20年前に起こったこの地震。なるみちゃんはその時は?

(百市)私は当時15歳で、出身の神奈川県に住んでいたんですけど、テレビ越しにビルから窓のガラスが割れて落ちていく映像がすごくインパクトがありましたね。

(太田)わたしは福岡にいたので、よく覚えています。
2005年の3月20日は日曜日・祝日で、福岡市内の集合住宅3階の自宅にいました。地震っていきなり揺れるイメージで、福岡市内が震源から近いのでいきなり来るって感覚であるはずだと思うのですが、すこし予兆を感じて、そこから揺れが忍び寄ってくる感覚がありました。
そしたら食器入れが波立つように揺れて、とにかく怖かった。
小さい子ども2人と家族3人でリビングの真ん中で揺れが収まるのを待ちました。
そのあと不安な気持ちを持ちつつ、出社した記憶があります。

(百市)どのあたりが特に被害が大きかった地域になるのですか?

(太田)博多港から船で35分ぐらいで行ける玄界灘にある玄界島この島の被害が大きかったです。地震発生時にこの玄界島には地震計はおかれていなかったのですが、その後の研究で、玄界島は震度6強相当の揺れだったのではと言われています。

(百市)太田さんはその時玄界島にはいかれたんですか。

(太田)地震発生後1か月ぐらいたった時に取材で行きました。
玄界島は平らな土地が少なく斜面に家が立ち並んでいる場所です。
その住宅のほとんどが木造であったため、屋根に青のビニールシートがかぶせられている状況でした。港には漁船が並んでいるんで、生活の匂いは感じるのですが、全島避難の状況であったため、人の気配がなくて、異様な感じがしました。

おととし防災出前授業で玄界島に行ったのですが新しい住宅が立ち並んでいて、復興している様子を見て、ここまで復旧できてよかったと感じました。

(百市)福岡西方沖地震では、天神のビルの窓ガラスが割れて道路に落下している映像も印象的でしたよね。

(太田)天神ど真ん中のあの場所には福岡ビルというのが建っていました。
その福岡ビルの400枚以上のガラスが割れました。
窓や建具などの取り付けの際に、開閉ができないように固定して取り付ける形式のことを「はめ殺し」というのですが、その形式のガラスも多く、その危険性がいわれるようになったきっかけの地震でもありました。

(百市)この福岡西方沖地震で我々が学ばなくてはいけないことはどんなことだと太田さんは考えますか。

(太田)当時「福岡は地震を心配しなくていい」ということがよく言われていました。
私は宮崎県の生まれですけど、宮崎はけっこう地震がよく発生している地域です。
そういった地域と比べて、福岡は地震を心配しなくていいんでいいよねとよく言われました。そうではないということですよね。
福岡市近郊では有史以来の地震といわれていますが、発生当時にはわからなかった断層が存在して、最大震度6弱、地震計のなかった玄界島では震度6強と推定されるような地震が発生したわけです。
災害はいつどこで発生してもおかしくない。想定を超えてくるんだ。
これをしっかりと教訓にしないといけないと改めて思います。

(百市)KBCラジオ「みんなで防災」
「福岡西方沖地震から20年地震にどうそなえるか~その1」をお送りしました。

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