奇跡の鍋から生まれた希望の味!いりこ料理で世界を目指す!『きみしゃんいりこ』親子の再建物語(福岡・芦屋町)【まち歩き】

福岡県芦屋町の小さな台所で、今日も母と息子が1kgずつ丁寧にいりこを炊いている。甘辛醤油とピリッとした唐辛子の香りが立ち込める中、二人の手は休むことなく動き続ける。年間5トンを製造しながらも、機械化は一切しない。この『きみしゃんいりこ』には、火災からの再起と家族の絆が詰まっている。

■全てを失った日、残されたのは一つの鍋だった

2012年11月19日。割烹旅館「加津浦」が火災で全焼した。約30年続いた旅館は一夜にして灰になり、初代きみしゃんこと渡邉紀美子さんと息子の公義さんは、文字通り全てを失った。
「もうお先真っ暗でした」と紀美子さんは当時を振り返る。原因不明とされた火災。悔しさと悲しみで、どうしていいかわからなくなった。
それでも、公義さんには忘れられない言葉があった。仲の良い先輩から贈られたドイツの格言だ。
「転ぶのは恥ではない。転んだままでいるのが恥なんだ」。
火災翌日、公義さんは当時販売を行っていた玄海ロイヤルホテル(現メルキュール)の売店に朝7時から立った。「働く職場があるということが、どれだけありがたいか。行く場所がなかったら、本当に路頭に迷っていた。この時初めて、自分に仕事があることの意味を知りました」。
周囲の反応は冷ややかだった。「火事の後、電話をしても、お金を貸してくれと言われるんじゃないかと、みんな引いていきました。人間模様を見ましたね」と公義さん。だからこそ、「絶対に這い上がらなければいけない」と心に決めた。
きっかけは、焼け跡から奇跡的に残った一つの鍋だった。

■「これで頑張ろう」 朝食の人気メニューが命綱に

厨房に残されたその鍋は、旅館の朝食で提供していた「いりこ煮」を作るためのものだった。岩盤浴を併設していた加津浦では、このいりこ煮が評判で、「美味しいから持って帰りたい」という声が後を絶たなかった。
「焼け残った鍋を見た時、これでなんとかしようと思いました」と公義さん。当初は「芦屋いりこ」という名前で岩盤浴施設で販売していたが、友人の「渡辺紀美子だから、キミシャンにしたら」という提案で、親しみやすい「きみしゃんいりこ」に改名。息子の名前も「公義(きみよし)」で、親子揃って「きみ」がつく縁も後押しした。
当時、金の1gは約4000円。いりこ1匹も約1g。「金の1gといりこの1gを選ぶなら、僕はいりこで助けられたから、いりこを選ぶ」。そう語る公義さんの言葉には、強い覚悟がにじむ。現在、金価格は2万円を突破したが、「いりこを選び続けてよかった」と笑う。
似顔絵のパッケージには、紀美子さんの笑顔が描かれている。「私は悪いことはしていないから、堂々と行きますよ」という紀美子さんの強さが、商品の原動力だ。

■「南無阿弥陀仏」と唱えながら、1kgずつ手作りで

「機械化したら、絶対に味が落ちる」。紀美子さんの信念は揺るがない。年間5トンの製造量を誇りながらも、今も「奇跡の鍋」で1kgずつ手作りを続ける理由がここにある。
「いりこに対して南無阿弥陀仏って感謝しながら作っているんです。だから上から感謝してくれるんじゃないかと」
使用するいりこは、主に玄界灘(長崎産)を中心に、天草・四国・山口の瀬戸内海産を厳選。産地や季節によって微妙に異なるいりこの大きさや吸い込みやすさを見極め、調味料の配合を調整する。「いりこを見ただけで、今日はこのくらい醤油を減らそう、とわかる」という紀美子さんの技は、まさに職人の領域だ。
散髪屋から板前へ転身した紀美子さんの原点は、米軍基地で働いていた母親にある。昭和20年代、米軍の方々に喜ばれた芦屋の煮物の味。その記憶が、いりこ煮の味付けの原点となっている。102歳まで生きた母の思い出も、この一品に込められている。

■「食べる御守り」として全国へ 受験生に希望を届ける

「いりこ」の語呂合わせに着目した公義さんは、6種類の「食べる御守りシリーズ」を開発した。合格入校(ごうかくいりこ)、恋々入恋(こいこいいりこ)、入庫(いりこ・金運)、入康(いりこ・健康)、入幸(いりこ・開運)、入子(いりこ・子宝)。
特に妊婦さん向けの「入子いりこ」には、公義さん自身の深い思いが込められている。不妊治療の末に授かった子を妊娠5ヶ月で死産した経験。1週間、隣室から聞こえる赤ちゃんの産声を聞きながら過ごした辛さが、「いりこ」を願掛け商品にした原動力となった。
毎年11月11日は「いりこの日/きみしゃんいりこの日」として、いりこ供養祭を開催。地元のデイケア利用者とともに川へ放流し、一年間の感謝を捧げる。今年で9回目を迎える。

■地道な活動が実を結び、地元からの評価も

火災後、二人は地道に活動を続けてきた。自らテレビ局へ足を運び、手弁当で各地のイベントに参加し、一つひとつ丁寧に商品の魅力を伝えてきた。地元の店舗が応援してくれたことも大きな励みになった。
そして2025年度(令和7年度)、きみしゃんいりこは「芦屋町ブランド認定品審査員特別賞」に選出された。長年の努力が認められた瞬間だった。
さらに嬉しかったのは、地元以外の商工会からの反響だ。「他の地域の商工会の方から『芦屋といえばきみしゃんいりこだよね』と言ってもらえた時は、本当に励みになりました」。

■テレビ、ラジオ、全国へ広がる「きみしゃん」の輪

メディア露出も増えた。テレビやラジオなど様々な番組に呼ばれるようになった。
北海道から沖縄、そしてアメリカ・ロサンゼルスへも。電車で隣り合わせた人との会話がきっかけで、大阪経由でアメリカに渡ったきみしゃんいりこもある。「およげたいやきくんじゃないけど、泳げきみしゃんって言われて。日本国中に広げたい」。
百貨店の定番商品にも採用された。バイヤーの「美味しいものを提供するのが私たちの仕事だから」という言葉に救われた。百貨店での試食販売では、「いりこなら自分で炊くから大丈夫」と言われても、半ば強引に試食してもらい、のちのち引き返して買っていただいた時の喜びは今も忘れられないという。

■新たな挑戦:幻の味「ひじき釜めし」「加津浦鍋」を復刻

そして2025年、公義さんは新たな挑戦に踏み出した。昭和57年(1982年)から旅館で提供していた宴会料理の復刻版だ。
芦屋町特産のひじきを使った「ひじき釜めし」と、ブリのアラと味噌・酒粕をブレンドした「加津浦鍋」。4~5年前に瓶詰めで試作したが、衛生面の課題で断念。福岡県よろず支援センターや芦屋町の支援事業の協力を得て、1年以上かけてレトルト化に成功した。
「当時の味に100%は難しいけど、近い味ができた」と公義さん。昭和15年生まれで85歳の紀美子さんは、心臓の持病を抱えながらも、この復刻を励みに日々を過ごしている。「祖母は102歳まで生きた。母にもこれをきっかけに元気でいてほしい」。

■「全国の冷蔵庫に、きみしゃんいりこを」

現在、きみしゃんいりこは地元スーパー「はまゆう」、マリンテラスあしや、新宮町の進藤商店などで販売。オンラインでも「きみしゃん本舗」で検索すれば購入できる。
公義さんの夢は明確だ。「全国の食卓、冷蔵庫の中に。納豆や明太子と一緒に、きみしゃんいりこがある日常を作りたい。旅館やホテルの朝食でも使ってもらえたら」。
ドイツの格言「転ぶのは恥ではない。転んだままでいるのが恥なんだ」を胸に、親子は今日も鍋に向かう。13年、14年という歳月をかけた再建の物語は、まだ道半ば。「ノーベル賞も30年、40年研究して取る。僕たちもまだまだこれからです」。
奇跡の鍋から生まれた希望の味は、今日も誰かの食卓を明るく照らしている。

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きみしゃん本舗
住所:福岡県遠賀郡芦屋町山鹿8-17
電話:093-223-3636
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■ きみしゃん本舗

住所:遠賀郡芦屋町山鹿8-17
電話番号:093-223-3636

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