絶対啜るべき“昭和の豚骨ラーメン”「柳屋」 豚骨戦士 福岡のラーメンを斬る! VOL.52〜ふるさとwish みやま市〜
ふるさとWishの本ラーメン企画で、創業50年を越える“齢半世紀豚骨”をたびたび啜ってきたが、今週の舞台、福岡県みやま市にもまた、その節目の年を近く迎える豚骨専門店がある。屋号は「柳屋」。旧高田町時代にぎわっていたショッピングセンターのシャッター街でひっそりと営業する、THE昭和のラーメン店的な佇まい。年季の入った赤い暖簾をくぐり入店すると、L字カウンターの奥に、「おじゃまします」と口に出てしまうほど、生活感ありまくりの畳敷きの座敷がある(しかも3部屋)。さらには、長い髭がトレードマークで、ラーメン仙人のような御年83歳の大将。イニシエのラーメンが好きな人にはたまらない、地元の愛され店である。
シンプルこそ旨い。50年変わらないTHE豚骨ラーメン
「柳屋」は、大将の柳詰道男さんの妻、啓子さんが1971(昭和46年)に開いた。啓子さんはみやま市(旧高田町)出身で、仕出し店など家業が戦後より料理に携わる仕事をしていたこともあり、久留米や大牟田で人気を博していた豚骨ラーメン店を始めることを決意する。地元にかつてあった「陳来軒」でラーメン作りを学んだ。しばらくは啓子さん1人で店を切り盛りしていたが、道男さんもほどなく店に入るようになり、現在は2人の息子である道徳さん(1968年生まれ)が代を継いでいる。ラーメンは、豚頭、ゲンコツ、背ガラなどさまざまな部位の豚骨に、鶏ガラも時間差で加えて煮込む共出し。塩気もしっかりと効き、地元「マルヱ醤油」で作るカエシのふくよかな甘味も感じる。ラードや背脂を使っていないので後味は比較的さっぱり。博多ラーメンより、やや太めの麺は大内田屋製麺(大牟田市)のものを使用。創業からスープの取り方、麺、素材も変えていない。仕入れの業者もずっと同じで50年近く共に歩んできた。先に挙げた「陳来軒」の源流は定かではないが、「柳屋」のラーメンのビジュアル、味わいから察するにやはり久留米系であろう。
道男さんの次男で、2代目となった道徳さんに話を聞いた。「物心ついた頃から豚骨ラーメンと密着して育ってきました。子供の頃は店の奥が家になっていて、お客さん用トイレが、店内とつながっている居住スペースにあったんです。酔っぱらったお客さんが迷って風呂や部屋に入ってきたりするのが日常茶飯事。いま思えば変な環境ですよね(笑)。そんなラーメン酒場で育ってきましたが、店を継ぐのは全く抵抗なかったです。我が家のラーメンも雰囲気も、そしてかわいがってくれるお客さんが好きでした。兄貴は剣道の道に進んだので、じゃあ俺が父ちゃん、母ちゃんのラーメンを守っていこうと」。
現在は、道徳さんが厨房を仕切っているが、83歳の道男さんも店に顔を出し時折り麺上げもしている。創業者で妻の啓子さんは10年前に他界した。カウンターにちょこんと座り、古い常連さんと楽しそうに話している道男さん。ふと手を見ると、今までの歴史を物語るような、ゴツゴツとした職人の手だ。
その様子を見ながら、昨年インタビューした一風堂の河原成美さんの言葉を思い出した。創業33周年を迎えた67歳の河原さんに、50周年への思いを聞いた時のものだ。「商売は結局、他の誰でもないその店の店主の味覚、人柄、センスも含めた総合的な“味”がどれだけお客さんに受け入れられるかってこと。だからどんなに店が増えてもラーメン屋のおいちゃんでありたいよね。昔はさ、食堂や蕎麦店で高齢になった店主が決まった場所に座ってるとかあったじゃない。お客さんからしたら、なんかいないと寂しいみたいな。僕も最後はそういう感じで店に出られればいいなと」。
道男さんはまさに、皆が会いにくる、いないと寂しくなる愛すべき大将。
「柳屋」は息子が2代目、さらに後継者候補の弟子もいる。継ぎ手がおらず閉店してしまう老舗も多いなか、とても喜ばしいことだ。道男さんも同店の顔として末永く元気に頑張って欲しい。
【柳屋】
住所:福岡県みやま市高田町江浦町545-1
電話:0944-22-4599
営業時間:11:00〜14:30、16:00〜20:00
休み:不定休
席数:カウンター12席+座敷3部屋
駐車場:10台(無料)
上村敏行(かみむらとしゆき)。1976年鹿児島生まれ。2002年よりラーメンライターに。以降年間300杯を食べ歩き「ラーメンWalker」はじめ各媒体での執筆活動、ラーメンイベント監修などを行う。KBC地域リポーター。
※この記事は2020年の情報です。内容は変更している可能性があります。事前にご確認ください。