特攻の母
2025年08月16日
[鹿児島県]
知覧の特攻隊員(3)

439人の特攻隊員が出撃した知覧。
そこには、特攻の母と呼ばれた女性がいました。
今から80年前、特攻隊の基地があった知覧には、軍指定の「富屋食堂」がありました。出撃前夜、食堂に来て密かに別れを告げる隊員。
また、恋人や家族に書いた遺書をたくしていく隊員もいました。
そんな特攻隊員たちを見守り続けたのが、食堂の女将・鳥濵トメさんでした。
ある日、左腕を捻挫していた19歳の特攻隊員が食堂にやって来ました。
「こんな身体じゃ出撃できませんよ」とトメさんが言うとー、
「日本が勝つためには一刻も早く行かねばならんのです」
その言葉に思わず涙が溢れるトメさん。
翌日、彼は操縦桿を持つ左腕に自転車のチューブを巻きつけて出撃したそうです。
温かい手料理で隊員達を精一杯もてなし、いつしか“特攻の母”と呼ばれるようになりました。
富屋食堂は現在、彼女のひ孫にあたる拳大さんによって運営されています。
ホタル館 富屋食堂 鳥濵拳大館長
「守りたい人のために命を懸けて出撃していった彼らの逸話を後世に残していくために、ホタル館 富屋食堂を作って、今でも展示しております。多くの方々に見ていただきたい。」
ここにもまた、若き特攻隊員たちのメッセージがしっかりと遺されています。