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戦国最強の武将“鬼島津”

2019年10月05日

[鹿児島県]

島津義弘(1)

今年、鹿児島が生んだ一人の戦国武将が没後400年を迎えています。その人物とは、あの西郷隆盛にも影響を与えたという島津義弘。今月は、薩摩の人々の心に今も生き続ける戦国武将のスピリットを伝えます。

島津義弘は、今から約480年前に現在の鹿児島県日置市で生まれました。父親の貴久は、薩摩の国を平定したお殿様。のちに義弘も17代当主となりますが、その名が歴史上、広く知られているのは、義弘の異名ゆえ。「鬼島津」と呼ばれていたというのです。
なんだか、恐ろしい別名ですが、義弘は戦国時代最強の武将として、そう呼ばれていたそうです。
当時、九州でも各地で激しい争いが繰り返される中、3人の兄弟と共に武功を挙げていきました。義弘は最前線で指揮を執り、島津独特の戦法で強さを誇ったのです。

その戦法とは「釣り野伏せ(つりのぶせ)」と呼ばれるものでした。自らの兵隊を3つに分け、左右に待機させた部隊を使わず、真ん中の隊だけで攻め込みます。相手が攻め返してくると、敗走するふりをしながら、待機する部隊が控える場所まで撤退。そこで一気に左右から奇襲をかけるというものです。

この戦術によって、肥前の龍造寺との戦いでは島津軍5000に対し、敵軍は5万という数の違いをはねのけ、勝利をおさめました。しかし義弘が最強の武将と呼ばれるのは、その強さだけが理由ではありませんでした。

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