文化を育んだ夢の跡
2021年11月20日
[福岡県]
かしいかえん(3)
「かしいかえん」の付近には、かつて野球場がありました。
香椎球場と呼ばれたその球場は、あの「西鉄ライオンズ」の二軍施設として使用されました。
昭和29年、この球場に一人のメジャーリーガーがやって来ました。
その名は…。ジョーディマジオ。
今でも記録を持つ、球界のレジェンドです。
「良い打ち方をすれば 君の打球は月まで飛ぶ」。
ディマジオからそんな言葉をかけられたライオンズの河野選手は、この年、生涯最高となる13本のホームランを放ち、その活躍もあって西鉄ライオンズは悲願の初優勝を果たしたのです。
それから20年後の昭和47年7月、この球場で野外コンサートが開かれました。
出演したのは武田鉄矢率いる海援隊や、井上陽水たち。
この時、東京からゲスト出演した泉谷しげるはステージ上でこう宣言します。
「海援隊は俺が東京に連れて行く!」。
この一言で海援隊は上京を決め、井上陽水もその後、大ヒット曲を世に出していきます。
今でもかしいかえんの敷地内には香椎球場のスタンドの一部が残されています。
福岡が誇る文化を育んだ香椎球場。
その歴史は、今でも決して色褪せることはありません。