にわか文化を愛した偉人たち
2022年01月22日
[福岡県]
博多仁和加(3)
「博多仁和加」の第一人者、生田徳兵衛。
にわか師だった父親の跡を継いだ徳兵衛は、昭和12年に、ハワイやアメリカで「博多仁和加」を公演しました。
海外といえば…、かつて「オッペケぺー節」で一世を風靡し、欧米でも大成功を収めた川上音二郎も、にわかと深い縁がありました。
実は音二郎の父は「博多仁和加」のお囃子役。その影響を強く受けた彼の演劇は、「にわか」のスタイルをベースに作られたものだったのです。
さらに、「博多仁和加」をこよなく愛したのが、博多のアイデアマン・田中諭吉。櫛田神社の「福くぐり」や山笠の集団山見せなどを企画、現在の新天町も作った諭吉は、交渉の際、「博多仁和加」の洒落たオチを使ったトークをしていたといいます。
諭吉は昭和32年、「博多仁和加振興会」を発足。
彼が愛したユーモア溢れる仁和加の世界は、今も継承されています。