パアテルさんを訪ねて
2025年11月15日
[熊本県]
五足の靴(3)

明治40年、与謝野寛とまだ無名だった若き詩人たちが九州を旅した紀行文「五足の靴」。旅のクライマックスは南蛮文化香る天草でした。
天草の北西端・富岡に上陸した五人は南へ。
【「五足の靴」より引用】
『外海の波が噛みつくがりがりの石多き径(こみち)に足を悩ましつつ行くのである』
まさに五足の靴が最も活躍した徒歩での大移動。五人が歩いた道の一部が現在遊歩道として残されています。

天草宝島案内人の会 金澤裕巌会長
「3.2kmほど遊歩道が残っているのですが、この日歩いた距離は合計で32kmでした。小さい細い道で海の縁を歩いたりとか山の方に上ったりとか、そこを平気で行こうとするのですから若い青年だったということでしょうね。」

この時北原白秋が残した詩には、こんなフレーズが繰り返されています。
【「五足の靴」より引用】
『パアテルさんは何処に居(を)る』
パアテルとは父を意味するラテン語が語源で、カトリックで神父を指す言葉。
彼らの目的は、地元で「パアテルさん」の愛称で親しまれていたフランス人宣教師・ガルニエ神父に会うことでした。
北原白秋生家・記念館 髙田杏子館長
「キリシタンの話を聞きたいのと、外国から来ている神父さんなのでどういう方というのも興味があったと思います。」
この大江教会での出会いが、若き詩人たち、更に日本の文学界にとって大きな転換点となるのです。