豊後の王は大富豪
2026年06月06日
[大分県]
大友宗麟(1)

かつて九州には6カ国を治めた戦国武将がいました。
その名は大友宗麟。西洋文化をいち早く取り入れた豊後の王に迫ります。

大友宗麟は、今からおよそ500年前、大分が豊後の国と呼ばれていた時代にこの地を治めていた大友義鑑(よしあき)の長男として生まれました。
20歳の時に当主となった宗麟は、巨万の富を得て北部九州6カ国を治める戦国武将となり国外からは「豊後王」と称されました。
大友宗麟が拓いた府内の町は、南北約2.1km、東西約0.7kmと広大で、その町の中心部に大邸宅を構えていました。

大分市教育委員会 文化財課 中西武尚さん
「府内の町の中心には、一辺が200m四方という非常に広大な敷地を持つ大友宗麟のお屋敷がありました。その南東部分には、広大な池を持つ庭が発見されていて、現在のような形で整備をしているところです。」

巨万の富を得た背景には、豊後が地理的に恵まれた環境を持っていたことが大きく影響しました。
大分市教育委員会 文化財課 中西武尚さん
「この大友館、府内の町の東側には大分川が流れていて、それが別府湾に流れ込
んでいます。その河口が、貿易に最適な港だったといわれています。」

それを示す貴重な証拠があります。大分駅前広場に描かれている世界地図のモニュメントに「Bungo」の文字。
世界地図に名を刻んだ豊後の王とはいったいー。