病気を診ずして病人を診よ
2020年10月31日
[宮崎県]
高木兼寛(5)

明治時代、「脚気」の原因が、白米中心の偏った食生活にあるのではと考えた高木兼寬。
彼は、海軍兵士に和食から洋食へと変更するという予防実験を施し、見事脚気の鎮静化に成功しました。
高木が行きついたタンパク質の不足という仮説は、その後、医学が進歩する中で発見されたビタミンB1の欠乏症が原因であることがわかり、そのことから彼は「ビタミンの父」と称されました。
食生活から原因を究明。
このことは、当時の医療としては画期的でした。
その後、彼は有志とともに貧しい人たちのための病院や国内初の看護学校の設立に尽力。
さらに高木は、「脚気」を解決した功績から明治天皇はもちろん、昭憲皇太后などからも信頼が厚く、地元にある「宮崎神宮」の大社拡張の際、皇室からご下賜金を受け実現させたそうです。
根拠に基づく「臨床医学」を生涯体現した彼が言い続けていた言葉があります。
「病気を診ずして病人を診よ」。
原因不明の病気を恐れず、常に患者に接して診断と治療に尽くした彼の精神。
世界中が未知のウイルスに苦しむ今、一日も早く収束するよう高木兼寛は願ってくれているかもしれません。
