九大フィルの始まり
2024年12月29日
[福岡県]
アインシュタインとの友情(4)
今から102年前、日本へやって来た20世紀最高の物理学者・アインシュタイン。
二人の医師との再会で生まれた奇跡とは―。
アインシュタインが日本へ向かう船上で体調を崩した際、診療した九州帝国大学外科の三宅速(みやけはやり)。
そして、音楽で交流を深めていた九大フィルの創設者で精神科医の榊保三郎。
三宅は、太平洋戦争終結の直前、岡山で空襲の被害を受けこの世を去りました。
九州大学医学部同窓会 佐藤裕 常任理事
「戦後、三宅教授の訃報を聞いたアインシュタインは、哀悼の辞を寄せたのです。」
彼の言葉は、徳島に埋葬された三宅の墓石に刻まれています。
アインシュタインと音楽の交流を続けていた榊は、九大フィルハーモニー・オーケストラを設立。大正13年、九大フィルは現在の福岡中央署にあった福岡市記念館で、日本人の演奏としては初となるベートーベンの「第九」を演奏したのです。
九大フィルハーモニー・オーケストラ 齋藤かな 幹事長
「榊先生が、ドイツ時代に自費で購入された楽器を九大フィルのために提供してくださったんです。」
実現はしませんでしたが、アインシュタインのバイオリンと九大フィルが共演する計画もあったそうです。今や年末の恒例となった「第九の演奏会」。
その始まりとなった九大フィルは、榊とアインシュタインが繋いだ音楽交流から生まれたのかもしれません。
年末に鳴り響く「第九」には、20世紀最高の物理学者と2人の医師との奇跡の物語が込められているのです。