戦後80年のメッセージ
2025年08月02日
[鹿児島県]
知覧の特攻隊員(1)

この国のために死ななければならないー。
今から80年前、そんな選択を迫られた若者たちが遺した心の内とは―。
鹿児島県南九州市知覧。
太平洋戦争中、陸軍の飛行場が置かれていたこの場所に「知覧特攻平和会館」があります。
「特攻」、それは当時の日本軍が考えた人類史上、類のない作戦でした。
太平洋戦争は、開戦から3年でアメリカを中心とした連合軍の圧倒的な戦闘力によって、日本軍は防戦一方となります。
追い詰められた日本軍は、重さ250kgの爆弾を装着した戦闘機で敵の艦船に体当たりして沈める「特攻作戦」を実行します。
知覧からは、439名の隊員が出撃していきました。
知覧特攻平和会館には、出撃していった隊員たち1036名の遺影、遺書や遺品などが大切に保管されています。平和会館ではそれらを後世に残そうとあることに取組んでいます。
知覧特攻平和会館 川﨑弘一郎館長
「その当時、手紙で書いているものが主です。紙は劣化しますので、レプリカにする作業をして、展示はレプリカを出して、本物の劣化を防ぐ形をとっています。修復が必要な物については、専門家からの意見を聞きながら修復を行っているところです。」
これらの遺書は、若き隊員たちが出撃を前に、愛する人たちへ遺したものでした。


