「木版摺更紗」(佐賀県鹿島市)
2025年05月18日

更紗とはインドが起源の、布製品などに多くの色を文様で染めていく工芸品だ。
江戸時代初期に南蛮貿易などで日本にもその技術が伝わったと言われている。
全国各地に広がった更紗は「和更紗」として今でも着物などに愛用されているが、佐賀に伝わった「鍋島更紗」は廃藩置県のあとに一旦途絶え、近年「木版摺更紗」として復活した。
その復活を担ったのが、今回出演していただいた染色家・鈴田清人さんの祖父鈴田照次さんだった。

日本に普及している和更紗は、手描きと型紙で染色していく技法がほとんどだ。
だが木版摺更紗は、木版を使って墨などで版押しをして文様の輪郭線を描く。
さらに木版に合わせて穴をあけた型紙を輪郭線と合わせ、輪郭線の内外に色をすっていく。
作品によって木版の数は変わってくるが、2023年に日本伝統工芸展において受賞した着物には、5つの木版、80枚の型紙を使って、約3000回の版押し、1万回の色挿しを行ったそうだ。

祖父が伝統を復活させ、父が人間国宝として技術を伝え、現在は清人さんが受け継いでいる木版摺更紗。
だが、清人さんはその重圧と向き合いながらも、心は穏やかに見える。今回の作品「秋耀(しゅうよう)」も、12月に自宅の庭で紫に咲いている花の色に心をひかれ、その美しさをシャンデリアや万華鏡にイメージを反映させて完成させたそうだ。
作品に赤色と青色が使われているのも、2色が重なれば紫になるから、と話してくれた。
そして鈴田さんが何より大事にしている思いは「この仕事を大変だと思ってほしくない」ということだ。
作品を通して誰かを幸せにしたいと考えている鈴田さん。
その思いには一点の曇りもなく、だからこそあのような「美」が生まれるのだろう。

そんな鈴田さんが未来に残したい風景は「旭ヶ岡公園」だ。
かつては鹿島城があった場所で、今でもその名残はあるが、今では佐賀県三大桜の名所の印象が強い。
1874年に大部分が消失した鹿島城だが、赤門は現存していて、鈴田さんが通っていた鹿島高等学校の正門となっている。
今でもリラックスをかねて訪れることがあるそうで、その際は必ず赤門を見るという。
およそ200年前からある赤門は、200年前の人も見ていて、それを今の自分も見ていて、未来の人たちも見るのであろう。
それは200年前と今と未来が繋がっていることを意味していて、鈴田さんはそこにロマンを感じるそうだ。