戦後81年、終わらない遺骨収集ー「ミャンマーのゼロファイター」の挑戦
ぎゅっと
2026年08月10日
■112万柱がいまも戦地にー「ゼロファイター」井本勝幸さんの挑戦
太平洋戦争の海外戦没者約240万人のうち、戦後81年が経った今も112万の遺骨が日本へ返されていません。
約4万6000人の遺骨が残されるミャンマーで、福岡市出身の元僧侶、井本勝幸さん(61)は現地の人々とともに独自に調査を重ね、約2万柱の埋葬地を特定してきました。
2011年、単身でミャンマーに乗り込み和平や人道支援に奔走してきたことから、現地の人々から「ゼロファイター」と呼ばれる井本さん。
2013年から始めた遺骨調査は、彼の支援に対する現地の人々からの“恩返し”でもあったのです。
しかし、2020年以降のコロナ禍やミャンマー内戦の影響で現地に入れない状態が6年半あまり。
井本さんはタイを拠点に避難民と民主化の支援をしながら、リモートで遺骨調査隊を指揮し調査を続けています。
■内戦の壁を破る「タイ経由」ルートと立ちはだかる行政の壁
日本政府の収集活動は軍事政権の支配地域に限られていますが、遺骨の大多数が残されているのは派遣団が立ち入れない民主派の支配地域です。
「戦没者遺骨収集推進法」の期限(2029年度)が迫る中、井本さんは隣国タイを経由して遺骨を日本へ送り返すルートを考案し、厚生労働省との交渉に臨みました。
しかし、厚労省からは軍政側との懸念による「持ち帰り」という回答や、仮に検体を入手してもDNA鑑定に3年かかるという事実が示されました。
■高齢化する遺族の願いと、5ヵ月の捜索の末の遺骨発見
井本さんが収集を急ぐ背景には、遺族の高齢化があります。
日本への帰還を果たせず亡くなる遺族もいる中、井本さんは安藤幸枝さん(84)の父が亡くなった「メザ野戦病院」跡地の発掘を現地調査隊に指示しました。
5ヵ月に及ぶ捜索の末、2026年3月に遺骨が発見されました。
写真で遺骨を確認した安藤さんは「父が私のことを求めているのかなと思うこともある。父のほうがもっと苦しかったと思う」と思いを馳せました。
■マンダレー移送案と厚生労働省の回答
しかし、日本への帰還には大きな壁が立ちはだかっています。
発見された場所は民主派の支配地域で厚労省の派遣団は収集に行けないのです。
そこで井本さんは、派遣団が入ることができる軍政支配地域のマンダレーに遺骨を移送し、
派遣団に引き渡す案を厚労省に提案します。
移送は現地の親交のある僧侶たちが担えば、邪魔はされないだろうと考えていました。
しかし厚労省からの回答は「ザガイン管区のご遺骨の受領及び鑑定につきましては、引き続き慎重に実施可否を検討します」というものでした。
過去の失敗などから落ち度を避けたい国の論理や基準があるため慎重になるのだろうと井本さんは推察します。
■「ビルマは地獄」変わらぬ現実の中で、諦めない男の信念
「旧日本兵の方々も『ジャワは極楽、ビルマは地獄』と言ってましたが、いまだにビルマは地獄ですね」と、内戦と行政の壁に阻まれる現状に井本さんは語ります。
それでも「ここまで来れたのも、諦めなかったから。この姿勢は変えたくないです。最後までやりたいです」と語り、日本へ帰す活動を続けています。
高齢化した遺族に時間はありません。
遺骨を祖国へ帰すことを何よりも優先した、国の柔軟な対応が求められます。
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