車椅子のピッチャー 障害者野球で世界の舞台へ 「勇気と希望与えたい」
福岡|
05/30 20:00

障害者野球の世界で、歴史的な快挙が成し遂げられました。11月に北九州市で開催される世界大会の日本代表に、史上初めて車椅子のピッチャーが選出されたのです。
選ばれたのは 宮地翔大さん(19)。国指定の難病と闘いながら夢の舞台に挑む若きエースには、乗り越えるべき「ある弱点」があります。
チームメイトや家族との絆を力に、世界一を目指す挑戦を追いました。
■「もう一つのWBC」へ! 日本代表史上初

今年11月、障害を持つ選手たちが競う野球の世界大会が北九州市で開催されます。
「もう一つのWBC」とも呼ばれるこの大会で、日本代表として歴史に名を刻む選手がいます。
北九州フューチャーズに所属する宮地翔大さん(19)です。
障害者野球の日本代表史上、初めて車椅子でプレーするピッチャーとして選ばれました。
チームの有延忠剛監督は「ジャパンチームの中で初めて車椅子の選手が選ばれた」と、その快挙を語ります。
宮地さんの武器は、カーブやシンカーなど変化球5種類 と、それを自在に操るコントロール。
チームのキャッチャーも「持ち味はコントロール。スピードがない分、コントロールで相手を打ち取る」「一番信用しているピッチャーです」と信頼を寄せています。
■「視線が気になった」難病で絶望 引きこもった日々を救った父の言葉

輝かしい舞台に立つ宮地さんは、国指定の難病「慢性再発性多発性骨髄炎」と闘っています。
小学6年生の冬に体の異変を感じ、長期の入退院を繰り返すうちに「両足の機能が落ちていって動かせなくなった」と語ります。
大好きだった野球を奪われ、車椅子での生活が始まると、「外に出ると人目が気になった」と、周囲の視線に苦しみ閉じこもりがちに。
そんな彼を再びグラウンドに連れ戻したのは、同じく障害者野球チームでプレーする父・雅之さんでした。
自身も事故で左手を失っている雅之さんは「1回顔を出してみないかと。それが1つのきっかけです」と、息子に声をかけた日のことを振り返ります。
■ピンチで陥る「自分の世界」 若きエースが抱える克服すべき課題

父の誘いで野球の世界に戻り、仲間との出会いで勇気をもらった宮地さん。
しかし、彼には乗り越えるべき「弱点」がありました。
それは、ピンチの場面でついムキになってしまう癖。
「ピンチの時は癖で、自分の世界に入ったりする。1人で抑えてやろうと」
チームメイトを信じ、打たせて取る投球が持ち味の彼にとって、この癖は大きな課題。
健常者チームとの試合では、1回裏に1アウト2塁のピンチを迎えると、ワイルドピッチやピッチャーフライへの対応の遅れから、先制点を許してしまいます。
失点後もなお続くピンチ。再び「自分の世界」に入りそうになった宮地さんを救ったのは、チームメイトの声でした。
「大丈夫、大丈夫、1アウトね」
マウンドに集まる仲間たちの励ましが、彼に冷静さを取り戻させます。
「味方の声・守備を信じて投げるだけでした。全員から『翔大頑張れよ』という声が外野からも聞こえていたんで、支えになりました」
仲間を信じ、本来の打たせて取るピッチングを取り戻した宮地さんは、後続を断ち切りピンチを脱出。
試合は、父・雅之さんのタイムリーヒットも飛び出し、見事勝利を収めました。
■チームメイトとともに世界へ 勇気と希望を届けるマウンドへ

ピンチを乗り越え、仲間との絆を力に変える術を学んだ宮地さん。
視線は、11月の世界大会に向いています。
難病や障害と闘う多くの人々を勇気づけたい。
その思いを胸に、世界のマウンドに立ちます。
「車椅子ユーザーの方とか、重度障害の方たちへ、自分が投げている姿を見て勇気とか希望を与えられるピッチングがしたいなと思います」
チームメイトとともに、宮地さんの新たな挑戦が始まります。





