難病女性がパラグライダーに挑戦 最愛の夫亡くし…失意の底から決意
社会|
11/17 18:33
筋肉が次第に動かなくなる難病を抱えた女性がパラグライダーで空を飛びました。最愛の夫を亡くしてから立ち上がり、挑戦するまでの半年間を取材しました。
■難病女性
パラグライダーに挑戦
須田有美さん(48)。難病を患い、手足が動かせません。
有美さんの病気は、国が指定する難病「遠位型ミオパチー」です。徐々に筋肉が動かなくなる病気で、根本的な治療法も、治療薬もないといいます。日本では珍しく、わずか400人程度しかいないと言われます。
先の見えない闘病生活を支えたのが、夫の雅見さんでした。
難病と闘う須田有美さん
「夫も片腕を切断しているハンデがあった」
2人は有美さんが29歳の時に結婚しました。
難病と闘う須田有美さん
「まだそのころは自分でも結構できることも多かったので、妻としてできること、家事、洗濯をしたり、料理をしたり、何か楽しい生活でした」
仕事も同僚からのサポートを受け、すべてが順調に思えました。
そんな時期でした。雅見さんが突然、脳出血で倒れ、そのまま帰らぬ人になったのです。
難病と闘う須田有美さん
「この人がいてくれて良かったなと思っていた時に、自分は何でこんな目に遭ってばかりなのかと。この先もずっと、こんななのかなと」
雅見さんの死から4年ほど経った今年、ヘルパーさんの「やりたいことはないか?」という言葉があることを思い出させてくれたといいます。
難病と闘う須田有美さん
「(2人で)『最強のふたり』という仏映画を見て、そのなかで重度の障害を負っている人がパラグライダーするっていうシーンがあって、それを見て、あっすごい、飛んでみたいなって私も」
仲間の助けを借り、パラグライダー用の車椅子に。
難病と闘う須田有美さん
「皆ありがとう。今までありがとう」
大空に舞った有美さん。彼女にとって、そこは自由を感じられる世界でした。
前向きに挑戦ができた有美さん。病気に関しても明るい材料があります。
これまでなかった「遠位型ミオパチー」の新薬が今年3月、厚生労働省に薬事承認されたのです。
実は、有美さんが新薬の話を聞いたのは16年ほど前のことです。患者数が少ないことなどから採算を取るのが難しく、開発に時間がかかったといいます。
難病と闘う須田有美さん
「素直にすごくうれしかった。ただ、私の症状としては進行がかなり進んでしまったので、もうちょっと早く飲めたらというのは正直あります」
有美さん、空を飛んだことで変わったことがあるそうです。
難病と闘う須田有美さん
「自分がやってみたかったことって、自分の気持ち次第でかなえられる」
「(Q.次の目標?)富士山。富士山に登ってみたい」