【戦後80年】駄菓子屋で伝えたい平和 96歳“おばちゃん”の願い
社会|
08/15 12:38
神戸大空襲を生き抜いた96歳の女性。今も駄菓子店を営みながら、子どもたちに平和な世界が続くことを願っています。
神戸市兵庫区。海沿いの住宅街に「レトロ」な駄菓子店があります。
「おばちゃん!これって何円?」
「おばちゃん!水風船ひとつ」
「おばちゃん!」。そう呼ばれているのは、店主の中川艶子さん、96歳です。4畳半の店内は創業当時のまま、70年が経ちました。
店には3歳から80代までの常連さんが訪れます。笑顔の奥には、伝えておきたい平和への思いがあります。
中川駄菓子店
中川艶子さん
「『B29』がカラスの大群のように飛んできた」
太平洋戦争末期、軍需工場が多かった神戸は、5回にわたり、アメリカ軍による空襲を受けます。神戸大空襲です。
中川駄菓子店
中川艶子さん
「(焼夷弾が)バーっと花火のように落ちる、居るところがあれへんわ、そこら中に落ちる」
中川さんが住む兵庫区が大きな被害を受けたのは、1945年3月17日の空襲でした。神戸市の記録では、5回の空襲で、合わせて7500人以上が犠牲になったといいます。
中川さんは当時16歳。防空壕に逃げ込もうとした時のことを鮮明に覚えています。
中川駄菓子店
中川艶子さん
「飛行士が見えていた、こんなメガネをかけて、艦載機がきて『ババババン』と後ろから撃たれた時が怖かった。あの時は死んだと思った」
「死」と隣り合わせの毎日。中川さんの青春は戦争に奪われました。
中川駄菓子店
中川艶子さん
「戦争のときみたいに火花がでたら怖いな、もし戦争があったら行くか?こんな(銃)を持って」
「いやや」
20年近く店に通う男性は、子どもの頃から空襲の話を聞いてきました。
中川駄菓子店
中川艶子さん
「怖かった、防空壕とか入ってな」
子どものころから通う
関太一さん
「そういう話をみんなに広めていかないとアカン」
中川駄菓子店
中川艶子さん
「戦争をせんように、なんとかかんとか言いながら、無事にこのまま平和がずっと続いたらいいけど」
“小さな常連さん”に同じ思いはさせたくない、おばちゃんは強く願っています。