フィリピン残留2世がDNA鑑定で兄弟証明 弟と80年越しの対面 父の墓参りも
社会|
08/26 11:11
太平洋戦争中に日本人の父と生き別れたフィリピン残留日本人2世の男性が今月、80年越しの親族対面を果たしました。テレビ朝日は国籍回復のラストチャンスにかけた訪日に密着取材。「日本人として認めてほしい」。その思いを聞きました。
竹井宏之さん(73)
「どうも、竹井宏之です」
どこかぎこちないあいさつを交わす2人。2人は80年越しの対面を果たした兄弟です。兄のタケイ・ホセさん(82)は、太平洋戦争中に日本人の父と生き別れ、戦後フィリピンに取り残された、フィリピン残留日本人2世です。
タケイ・ホセさん
「私にとって、兄弟のあなたにこんなに長い間会えなかったのは寂しかったです」
フィリピンには戦前、多くの日本人が移り住み麻の栽培などに携わっていました。現地のフィリピン人と結婚し家族を持った人も多くいました。
しかし、日米の開戦、そして敗戦。現地での暮らしは一変しました。フィリピンには反日感情が強く残っていたため、タケイさんら2世は日本人の子どもであることを隠して生きてきました。さらにもう一つ、「国籍」という問題が残されました。
戦前の国籍法では、「日本人の父親を持つ子は、日本国籍となる」と定められていました。しかし、タケイさんら残留2世の多くは、日本人の父親が戦死、強制送還されるなどしたため手続きができず、無国籍状態になりました。
タケイさんは1990年代から地元の日系人会を通じて、父親を探し続けてきました。その後、支援団体の調査から、戦後、日本に帰国していたことが判明しました。
タケイ・ホセさん
「父が生きていた時のことについて聞きたいんです。私には父の記憶がないので、日本で幸せに暮らしていたのか知りたいです」
そして、大阪に異母兄弟が暮らしていることも分かりました。DNA鑑定を行ったところ、「極めて高い確率で血縁関係にある」という結果が出ました。
弟のいる大阪へ、政府の支援による国費での訪日が実現しました。
タケイ・ホセさん
「弟よ、ごめんよ。私はあんまりおしゃべりが得意ではないんだ」
竹井宏之さん
「お互いにびっくりしてますよね」
タケイ・ホセさん
「私を兄弟として受け入れてくださったと聞いて、とてもうれしく思っています。でも私はずっと前から自分の兄弟という人がいれば会いたいと思っていたんです」
翌日。
タケイ・ホセさん
「とても大切な日です。なぜならお父さんのお墓参りに行ける日です」
「天国で安らかに日々を過ごして下さい。私はお父さんに会いに来ることがもうできないかもしれない。でも私はずっとフィリピンで祈り続けます。あなたがずっと安らかに天国で暮らせるように」
父とのつながりを再確認したタケイさん。しかし、タケイさんら残留2世の平均年齢は83歳を超えています。国籍回復が間に合わず亡くなる人もいて、残された時間は長くありません。
タケイ・ホセさん
「多分日本を離れていくと、だんだん悲しい気持ちになるかもしれない。私は年齢的に日本に戻って来られるかどうかも分からない。再び弟に会えるのか、父の墓参りができるのかも分からない。だからきっと寂しくなるだろうなと思います」
タケイさんは宏之さんとの兄弟関係を証明するDNA鑑定結果をもとに、今月、日本国籍回復を求めて、家庭裁判所に就籍許可を申し立てました。
戦後、歴史の片隅に忘れられた日本人。その願いはただ一つ、「日本人と認めてほしい」。
タケイ・ホセさん
「私は自分の弟とDNA検査をして、98.7%で合致しています。自分は日本人だと気持ちが強くなった。日本国籍を回復させたい」