能登半島地震から2年 被災地が迎える“鎮魂の元日”「上を向いて…」
社会|
01/01 18:10
最大震度7を記録した能登半島地震が発生して1日で2年です。災害関連死を含めると698人が犠牲となり、2人の行方が今も分かっていません。
■被災地が迎える“鎮魂の元日”
輪島の朝は静かに明けていきました。雪が降り積もった朝市通り。仮設住宅で迎える2度目の正月。
餅つき参加者
「少しでもめでたくていいんじゃないですか。みんな一生懸命になって何もないところから、少しでも正月のいい思い出が出来れば」
能登の各地でそれぞれの一日が始まっています。
2年前の1日、日常は突然壊されました。
2024年1月1日午後4時10分、石川県能登半島で最大震度7、マグニチュード7.6の地震が発生。死者は698人、今も2人の行方が分かっていません。
警察官の大間圭介さん。土砂崩れで妻と3人の子どもを失いました。
大間圭介さん
「あの時、苦しかった気持ちとか、つらかった気持ちが思い出されたのが今年は強く感じたかな。家族に胸を張って、頑張ってきたよって言えるような人生を歩んでいけたら」
珠洲市寺家地区。漁師の蟹谷博樹さんは、静かに海を見つめていました。
漁師
蟹谷博樹さん
「小さいときから一緒に生活した…。海に潜ったり、網さし・はえなわをして、庭というか遊び場みたいなものだった。やっぱり海がないと寂しい」
あの日、珠洲市を襲った大きな揺れ。建物がうねるように揺れ、住宅は崩れ落ちました。その後、街を津波がのみ込みました。
漁師
蟹谷博樹さん
「(Q.高さはどれくらい来た?)2階のちょっと下だから」
「(Q.身長よりも?)上、上、上」
蟹谷さんは母屋2棟、作業小屋、そして船、すべてを失いました。
漁師
蟹谷博樹さん
「母屋がここかな、母屋の向こうに倉庫があった」
それでも、蟹谷さんはこの街を離れませんでした。今は仮設住宅で暮らしながら、カニ漁などで生計を立てています。
漁師
蟹谷博樹さん
「蛸島の底引き船に乗せてもらっている。それで生計が成り立っている。この土地に残りたいもあるし子どもたちもいるし、(子どもたちも)こっちに住みたいと言っているし、まあ子どものためもある、それが第一だと思う」
大みそか、蟹谷さんが重機でつり上げているのは、地震で倒壊した寺に残されていた鐘です。
除夜の鐘をもう一度。蟹谷さんの提案でした。
街に新しい一年を告げる音が戻りました。
能登観光の玄関口、七尾市。街の自慢はこの天然温泉です。
旅館「はまづる」。この正月、震災後、初めて営業しました。ただ、正月を喜んでいいのか、旅館側は迷いも抱えていました。
和倉温泉はまづる
高城一博専務
「うちだけ、こうやって開けることができて、本当、複雑な心境なんですよね。喜んでもらいたいっていう気持ちと悲しい気持ちが一緒になっている」
海沿いに旅館が並ぶ和倉温泉。地震でその多くが休業を余儀なくされました。
復興は今も道半ば。温泉街に20軒ある旅館のうち、営業を再開できたのは、わずか9軒。
それでも再開したはまづるでは、この正月、26ある部屋はほぼ満室。
東京からの宿泊客
「日本の大事にしたい温泉地の1つだと思っていたので、その頃に戻ってほしいなっていうふうに思います」
来てくれる人がいる限り、立ち止まるわけにはいきません。
和倉温泉はまづる
高城一博専務
「やっぱり下を向いては歩いて行けないので、上を向いて楽しんでいただけるようにしたい」





