MAP 閉じる

検 索 閉じる

番組検索

番組キーワードから探す

番組名から探す

KBCマップ

エリア

全国のニュース

背負い続けた被爆の記憶…平和への思い “安打製造機”張本勲さん(86)死去

社会

09/10 23:30

プロ野球で数々の記録を打ち立て、“安打製造機”とも呼ばれた張本勲さんが9日午後、亡くなりました。86歳でした。 23年間のプロ生活で積み重ねたヒットは3085本。 現役引退後は、野球解説者として活動。歯に衣着せぬ物言いで、“球界のご意見番”として親しまれました。 しかし、そんな張本さんにも、長く言えなかったことがあります。 自らの被爆体験です。 張本勲さん(2010年) 「私の現役の時には、怖くて言えないんですよ。『原爆症』『被爆者』だと言われると、昔は区別されたの。被爆者だと見えなければ、言わないようにしようと」 1940年、広島で4人きょうだいの末っ子として生まれました。在日韓国人2世です。 父親を早くに亡くし、母・順分さんが働きながら、4人の子どもを育てていました。 被爆の記憶を若い世代に伝えたい。16年前、張本さんは番組の取材に応じ、当時、暮らしていた場所を案内してくれました。 張本勲さん(2010年) 「8時15分でしょ、投下されたのが。食事をして友人たちと路地で、遊びに出たところ、5歳ですから。ガラガラと開けて出た瞬間、ピカーっと。何が起きたかわからないような光。それでドーンと、文字通りピカドン。気が付いたらお袋の腕に、覆いかぶさってくれましたから。家は木造ですから、みんなペシャンコ」 原爆の爆心地からわずか2キロ。間にあった小さな山が爆風を遮り、5歳だった張本さんの命はつながりました。しかし、その山の上には、6歳上の姉がいました。 張本勲さん(2010年) 「戦時中ですから、勤労奉仕があって、小学生でも山に行って、畑を耕したり、山に行って、木を集めたりしたそうですよ。ちょうど山のてっぺんだから、被爆地から1キロないんじゃないの。自慢の姉だった。背が高くて色が白くて。見るに無残なケロイド、全身焼けただれて、これが私の姉かと。『痛い、熱い、苦しい』と一晩中」 姉を亡くし、家も失った張本さん一家。橋の下に身を寄せたこともあったそうです。 終戦後、母親は、ホルモン焼きの店を始めました。ただ、日本語もままならず、生活は苦しいままでした。 そんな一家を救ったのが、野球です。 1959年、張本さんは、プロ野球『東映フライヤーズ』に入団。契約金は母親に渡しました。 張本勲さん(2010年) 「1万円札のない時代に200万。夜汽車で寝ずに帰って、いきなりお袋に見せたら、びっくりして『お前、また悪いことしたのか』と。『いやいや、そうじゃないんだ』と。『これ全部うちのもの?』と、あの顔は今でも覚えています」 張本さんは、1年目からその才能を開花させます。 首位打者に輝くこと7回。1975年のオフシーズンには、長嶋茂雄監督に請われ、巨人へ移籍します。 張本勲さん(1975年) 「長年の願望だった栄光のユニホームを着られることは、何といいますか、興奮状態が続いているわけです」 球団史上初の最下位に沈んでいた巨人を、王貞治さんと共に引っ張り、リーグ優勝に導きました。 しかし、輝かしい現役生活の陰で、張本さんが恐れ続けていたことがありました。原爆の後遺症です。 1979年、目の病気である中心性網膜炎を発症します。 張本勲さん(2010年) 「本当に原爆症じゃないかと思ったのよ。外野でノックを受けていて、小さく見えるんだ、ボールが。しかも、ちょっとゆがんで見えるの。病院に行くまで、一睡も出来なかったね。『やっぱり、きたかな』と」 原爆との因果関係は認められず、視力も回復しました。 張本さんは野球を続けます。 そして、1980年、日本プロ野球で初となる通算3000本目の安打を達成。その瞬間を、母・順分さんは球場で見届けました。 張本勲さん(1980年) 「僕はイガグリ頭で、18からプロ野球入り、今日まで美味しいものを腹いっぱい食いたいと。ハングリー精神と闘争心を自分に言い聞かせながら、今日まで来た。まさか、こんな金字塔を立てるとは、ゆめゆめ思っていなかった」 その後もヒットを重ね、通算3085安打。日本球界を代表する打者として、その名を刻み、1981年に引退します。 張本さんは、かつて怖くて言えなかった被爆の記憶を語るようになります。 張本勲さん(2006年) 「子々孫々までこういうことがあってはならないということを、語り継いでいかないといけない責任がある。体験者が将来、亡くなると思うので、亡くなっても無残な、人間がやってはいけないことを語り継いでいきたい」 張本さんが次世代に伝えたかった思い。 張本勲さん(2010年) 「終生、いや後々、何百年たっても忘れることはできない。理不尽というか、そういうもので命を奪うことは、人間のやる所業じゃない。もうやめてもらいたい」