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「水俣病は終わってない」政治決着も“救済”道半ば…“マイクオフ”で大臣が直接謝罪

社会

05/08 23:30

水俣病の患者らの団体と伊藤環境大臣との懇談の場で、環境省が団体側のマイクの音声を切って発言を遮った問題をめぐり、伊藤大臣が8日に現地を訪れ、直接謝罪しました。 ■伊藤大臣「水俣病は環境省の原点」 伊藤信太郎環境大臣 「深くおわび申し上げたいと思います。水俣病は環境省が生まれた原点。ですので、環境省の大臣として、このことをいかに大切に思っているかということをお伝えしたい。今度はゆっくりお話をお伺いできればと考えている」 “水俣病は環境省の原点”その言葉とはかけ離れた出来事でした。今月1日に行われた水俣病患者らの団体との懇談会。1つの団体に許された発言時間「3分」が近付いた時でした。 水俣病患者連合
 松崎重光副会長 「『会社が水銀を垂れ流さなければ、こうならなかったのにね』と、私はいつも家内と話していました」 環境省 「申し訳ございません。話をおまとめください」 発言を遮ったのは、環境省で水俣病などの対策を担う、特殊疾病対策室の木内哲平室長です。 水俣病患者連合
 松崎重光副会長 「妻の、妻の…」 突然、切られたマイクの音声。症状を訴えながら亡くなった妻の言葉を伝えていた松崎さんは、何が起きたのかと唖然とします。マイクを取り上げる職員。会場は騒然となりました。 参加者 「聞いてやれーな大臣」 3分で音声を切ることは事前に伝えられていませんでした。会場でアナウンスする予定でしたが、そのメモを「読み忘れた」といいます。伊藤大臣も、この対応について聞かされてはいませんでした。 ■環境省「不適切な行為と反省」 8日会見した患者らの団体は、改めて意見交換の場を求めています。そこに姿を見せたのは、発言を遮った環境省の木内室長です。 「直接、室長が皆さんにおわびしたいと、1時間ぐらい前から来ていて」 水俣病胎児性小児性患者・家族・支援者の会
 加藤タケ子事務局長 「松崎さんが切々たる思いで、亡き妻とその苦しみを語られた。そこを『もう時間です』と言わなくちゃいけなかった時、あなたの心は痛みましたか」 環境省特殊疾病対策室
 木内哲平室長 「発言の途中で切ってしまったということは、大変お気持ちを傷つける不適切な行為だったと反省をしております」 水俣病患者連合
 松崎重光副会長 「家内が私に言った言葉を伝えたかったものだから」 松崎さんの妻・悦子さんは、水俣病の認定を3度申請しましたが、認められないまま去年、亡くなりました。「認定患者に使う薬を使えるようにしてほしい」それが願いでした。 水俣病患者連合
 松崎重光副会長 「大臣を恨むとか、そんな気持ちはありません。皆が救済されれば、別に何も言うことはないです。私は未認定者で、家内も未認定者だったんですけど(認定者と)ほとんど変わらないと思うんです。国も県も区別する必要はなかったんじゃなかろうかと」 ■政治決着も“救済”は道半ば 水俣病が公式に確認されたのは、今から68年前の1956年5月のこと。チッソの工場から排出されたメチル水銀に汚染された魚介類を食べたことが原因でした。当初から発生源として指摘されていましたが、チッソは認めず。行政も対応を取らなかったため、被害は拡大し続けます。差別や偏見も広がりました。国が原因を特定し、公害病に認定したのは12年後の1968年9月でした。 園田直厚生大臣(当時) 「公害の発生原因を明らかにしたならば、その防止ならびに救済については、国・企業・県・市・地域住民それぞれの責任の限界において無残な人々を救う」 救済の道が開けたと思われましたが、患者の前に立ちはだかったのは認定制度です。水俣病と認定されているのはこれまでに3000人。一方、患者と認められず政治決着に応じる形で、一時金などの救済を受けた人は5万人にも上ります。さらに、住んでいた地域や年代を理由に救済すらされなかった1500人以上が、今も認定などを求めて訴訟を続けています。 水俣病被害者・支援者連絡会
 山下善寛代表代行 「しびれとか震えとか。緊張したらちょっと出る」 発言を遮られたもう1人、山下善寛さんはチッソの元社員です。水俣病が問題になるなかで、会社から反証のための研究を命じられました。 水俣病被害者・支援者連絡会
 山下善寛代表代行 「(会社は)水俣病の原因はチッソではないと強調していたので、私たちもそのつもりで分析していたんです。別の排水の中から水銀を取り出す作業をしていた人が『これが今問題になっている水銀だ』と、抽出された水銀を見せてくれたんです。その時に初めて『やっぱり我々はだまされていたんだ』と。チッソが原因だったということを知りました」 会社に水俣病の存在を認めるよう求めてきた山下さん。自らも症状が出ていますが、患者認定の壁に阻まれています。 水俣病被害者・支援者連絡会
 山下善寛代表代行 「患者である証拠があるならば、みんな苦労はしないんです。(Q.医師に診断書をもらうのは難しいのか?)もちろん出してあります。それは無視です。肝心の審査会で水俣病じゃないと、他のやつだと。他の人も全部そういう感じで切ってしまうんです」 ■「水俣病は終わってない」に大臣は… 8日午後5時過ぎ、熊本に謝罪に訪れた伊藤大臣。1人ずつ頭を下げて回ります。 伊藤信太郎環境大臣 「心からおわび申し上げたいと思います」 出席者からは厳しい言葉が…。 水俣病被害者互助会
 佐藤スエミさん 「幼いころから水俣病の被害を受け、苦しんで今日まで生きてきたこと。何十年もの間、私たちは苦しんでまいりました。その思いを3分でしゃべれとは、どうしてそういうことが言えるのか」 水俣病被害者の会
 中山裕二事務局長 「患者にとっては一日一日が命の競争というのか、生きていくことについて懸命の毎日が続いているんです。大臣が5月1日にあったことをどうお考えになっているのか」 伊藤信太郎環境大臣 「3分で皆さんの何十年における苦しみや窮状をお聞きするのは難しいです。正直言って。今後の環境省の在り方、もう少し皆さんの気持ちに沿って、皆様のお心、訴えが十分な時間でお聞きできるようしてまいりたい」 水俣病不知火患者会
 森正直副会長 「私から言わせたらですね、まだ水俣病は終わってない。その終わってない被害者の声を聞かなくて、なにが環境省ですか」 ■「期待しております」 伊藤信太郎環境大臣 「本当に申し訳ありませんでした」 深々と頭を下げた相手は松崎さんです。 水俣病患者連合
 松崎重光副会長 「私たちも未認定の方々がいっぱいおられるもんで、その代表として私たちは啓蒙(けいもう)活動をしているんですよ」 微塵も怒りを見せない松崎さん。今も未認定の人たちの認定などを進めてほしいと求めました。 伊藤信太郎環境大臣 「私の力の限り実現したいと思います」 水俣病患者連合
 松崎重光副会長 「先生まだ若いから大丈夫。期待しておりますので」

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