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筑後の防災おじさん 吉武章さんに聞く その1

番組で紹介した情報

2022年02月16日

「KBCラジオ みんなで防災!」
KBC解説委員の太田祐輔です。
百市なるみです。
(太田)毎週この時間は、あなたの命を守る防災について考えていきます。

(百市)今週は「筑後の防災おじさん 吉武章さんに聞く その1」です

(太田)私はこの人といろんな現場でお会いしますが、いつも決まって防災服姿です。
県内だけではなく、様々なところに防災服姿で現れ、防災啓発活動をしている筑後市の防災士 吉武章さん(71才)に防災へ思いを今週から聞いていきます。
今週は吉武さんが防災に取り組むようになった「きっかけ」です。

(太田)吉武さんが防災にかかわるようになったのはいつ頃ですか?

(吉武)東日本大震災の発災後です。生まれが東北の山形県という関係もあるので、被災地のことが気になって気になってしょうがなかった。そしてどうしても自分の目で確かめようと思って現地にいきました。それからですね、防災に関わるようになりました。

(太田)その頃はどういうお仕事をしていたのですか?

(吉武)若い時は、大きな飲食店で店長などをしていました。その後、一国一城の主(あるじ)になるという夢があったもので、発災前は喫茶店と居酒屋を営んでいました。
3月の東日本大震災の発災後は防災に関わるようになったもので、その年の8月には店を閉店して、災害復旧・ボランティアに専念するようになりました。

(太田)色んな所に東日本大震災の後も行かれて、ボランティア活動をされているのですが、それはやはり家族の協力があってできるものですか?

(吉武)そうです。やはりボランティアに関わってやって行こうと思ったら、家族の理解がないと絶対できない。これはもう皆さんに言えることだと思います。

(太田)それだけ熱心に、家業も一旦たたむような形でボランティアに関わっていこうと思われる理由はどういうところなのでしょうか?

(吉武)もう残された人生少ないという思いもあるし、何か人のために形として残したいなという思いからだと思います。
お金はなかなか残すことできないから、形として何か残したいなっていう思いが強かったですね。

(太田)そこまでご自身がそのボランティアの世界に携わることになるっていうのは東日本大震災の時には想像していましたか?

(吉武)東日本大震災で宮城県亘理町にいったのが最初の足がかりですが、そこに行くまではさほど強くは思わなかったです。
現場に行って、テレビで報道されているのと全く違う状況を目にしてからですね。
一人だと何もできないけども、継続して何かやらなきゃいけないなって思いました。
東日本大震災のボランティアが終わってから九州に帰ってきたときに、九州では災害ないのかって言ったら、「絶対災害はどこかで起こる」ということを考えました。
そのときに自分は何が出来るのかっていうことを強く思いました。
それからずっと防災の勉強とか色々やってきています。
それと、復旧作業はいずれ終わるから、それが終わった後に自分は何ができるかというのも感じました。そのあと何ができるかって言ったら、被災された方々のケア、身体的なケア、障害持っている方の世話や相談話し相手とかですね。そういったとこにも取り組もうと考え、九州へ帰ってきてからそういった勉強もさせていただきました。


(百市)ご自身の足で現場に行って、実際に被災地を自分で見るという行動がずっと続いているのですね。やっぱり「自分の目でしっかり見る、被災地を知る」ということはすごく大事なことだと思いました。

(太田)それと家族の協力の素晴らしさというのも吉武さんの話を聞いていると感じますよね。


KBCラジオみんなで防災
今週は「筑後の防災おじさん 吉武章さんに聞く その1」をお送りしました。

太田さん 来週は?

(太田)今週は吉武さんが防災に取り組むようになったきっかけの東日本大震災で吉武さんはどのようなボランティア活動を行い、何を感じたのをお伝えします。

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